齋藤伯耆守並びに白鳥家関連資料
 
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天正最上軍記

天正最上軍記実録
 
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山辺の少林寺

山辺夜話    武田泰造
 その24 少林寺の梵鐘 143?146

 概略    最上義光が白鳥十郎を討ったさい、谷地八幡宮に釣ってあった白鳥十郎寄進の梵鐘を日頃信仰している山形の両所の宮に遷して寄進した。
 その梵鐘は、明治の廃仏きしゃくのときに、梵鐘と鐘楼が売りに出され、少林寺が買い取った。

 太平洋戦争の金属回収では、慶長年間(1596?1614)以前に鋳造されたものは保存するという規定があったため、徴収をまのがれた。
昭和43年6月30日
 

中條家について

谷地領主中條家物語 夢枕・時流れて
 高橋欣二 昭和59年

参考資料
 山形県史巻1 河北町の歴史 河北町の文化財1・2 葉山の歴史 白鳥長久公(中里松蔵著) 白鳥十郎公長久公(槇 清哉著) 最上四十八舘の研究(丸山 茂著) 最上紅花史の研究(今田信一著)
 

『昭和54年度 山形歴史の道調査報告書 最上川(1)』

3難所 三ヶ瀬
P85
 戦国時代には白鳥長久が白鳥に居城を置き勢力を伸ばしていった地である。白鳥の隣村富並にも鬼冑城と呼ばれる城跡があり長久の取立城ともされるが、源頼義のために滅ぼされた豪族落浜入道大林の居城ともいわれる。大林については最上川を舞台とした戦闘の伝説が残っている。
 
 P91
 2 横山河岸
  横山村は新庄藩谷地郷に属し、村高は枝郷(来迎寺・里・新林・黒滝 四ヶ村)を含めて、一九一二石余、文化六年の戸数二一五軒、人口一一九三人となっている(新庄領村鑑)。
 
 『昭和54年度 山形歴史の道調査報告書 最上川(1)』 山形県教育委員会  
 

尾花沢市史

野辺沢氏は二万石と旧来の野辺沢城下をそのままあたえられた。
野辺沢氏の領地は、東は上ノ畑・横沢。北は尾花沢・名木沢。西は大石田・今宿。南は五
十沢までであり、井出村は除かれていた。(野邊沢城記)
尾花沢市史
P277
 

桜清水

町報かほく 昭和53年5月25日

ふるさと散歩 その13

図入沢畑往来 抜粋

住古 谷地の刺史白鳥十郎誕生し産湯を汲み候。桜の井と伝え有り。この井の水はひでりといへどもきへたことなし。此の井戸の水にて口をすすぎするものは疫癘を不受と承り候

桜清水のいわれ

<町史編纂委員 浅黄三治>
 

村山市史 原始・古代・中世

村山市史 原始・古代・中世
P409
 谷地の中條氏とも、同じ北朝側の立場から(注 最上氏は南北朝時代に北朝についた。なお、寒河江の大江氏は南朝)、協力関係にあったろう。南朝側の南寒河江荘の大江(寒河江)氏も北朝に降ってからは最上氏に協力するようになったらしい。

P410
 最上氏系図について深く探求された後藤(壽だが、下が加)一氏は、兼頼より数えて最上義光を十一代としている流布本「最上氏系図」の外にも、各種の系図等があることを挙げられている。

注 最上家内での当主の派閥争いがあったのではないかと推測なされている(「山形市史」上巻) 。

系図等の類は史料的価値は低いがこのように異同がはっきりしているものは簡単に捨てさって顧みることがないのも不当だろう。

土海在家(どがざけ)

第二節 戦国時代の村山地方
最上氏の北進

P422
「羽陽仙北語伝」等によると、最上義定時代の村山郡北部(現在の最北地区とくに新庄盆地)への進出がにぎにぎしく書かれている。これらは後世の記録で、物語風に記されており、年号の如きも全然誤っている。義定の北進を永享九年としているが、当時家定は生まれていないので、永享九年は永正九年の誤りであったろう。これらの記録によると山形城主を嗣いだ最上義定はまず谷地の白鳥氏を幕下につけ、兵を北進させて、延沢盆地に入り、永正九年(一五一二)四月升形肥後守盛光を攻めんとした。
 

大石田町史

第七章 中世の大石田周辺 P340
白鳥・大江・天童氏の征圧

これによって(白鳥・大江が義光によって攻め滅ぼされたこと、天童城の落城などが述べられた後の記述)、義光の最上・村山地方への征圧は完全になり、大石田もまたその支配下におかれるようになったのである。

 ?下谷地郷の田沢・横山などは白鳥領だったのだろうか。?
 

『日本及日本國民之起源』

小谷部全一郎、『日本及日本國民之起源』、厚生閣、昭和四年一月

白鳥十郎の末裔を自称する小谷部全一郎氏による本で、その第十二章『神聖なる大日本と国號の由来」に、自らの先祖についての記載あり。

小谷部氏は白鳥氏の末裔で、白鳥氏は大江氏の一門である、としている。
 

『河北町の歴史散歩』

浅黄三治、「河北町の歴史散歩」、昭和63年9月

「三社宮と大銀杏」 47~49ページ

白鳥十郎の遺族という青森県の白鳥大八氏の来町。「出羽の山形でだまし討にあい、青森まで落ち延びてきた、という伝承。

「安永四年、山辺兵庫頭家来「斉藤母来(もりき)」の求めに応じ、工藤弥次郎右衛門が交付した資料とは、そもそもなんだったのであろうか」

天正最上軍記に記載されている、白鳥氏家臣団の紹介

「津軽藩主の先祖に、白鳥十郎の娘が側室に入っているという菩提寺の記録が発見されたという話があり、」

などという、白鳥家滅亡後の十郎の子孫の動向について、興味深い記載がある。


「弥勒寺公園「幸之神社」」96〜98ページ

縁結びの神として信仰を集めた幸之神社は、かつて中条家や白鳥家の尊崇をうけていた。

『根際の普流稲荷神社』145〜146ページ

根際齋藤家の氏神とされる普流稲荷は、かつて谷地城守護神であったものを遷座したものという記載あり。


他に、白鳥十郎に関する記載、谷地城に関する記載、東林寺の本尊が秘仏であることなどの記載がある。
 

「白鳥館跡」

黒沼昭夫「白鳥館跡」,さあべい第20号,平成7年7月
 

『出羽諸城の研究』

沼舘愛三『出羽諸城の研究』,伊吉書院,昭和55年9月

白鳥館
鬼兜城

沼平館
白岩城
寒河江城
谷地城

に関しての記載あり。
 

『東北の山岳信仰』

岩崎敏夫『東北の山岳信仰』,民俗民芸双書93,岩崎美術社,1984年4月

葉山信仰について

葉山と白鳥氏のつながりを探ったが、記載なし。
 

「寒河江北方円覚寺領五箇郷の動向と中条氏に関する一考察」

鈴木勲「寒河江北方円覚寺領五箇郷の動向と中条氏に関する一考察」,平成8年11月30日,西村山地域史研究会

白鳥氏の支配以前の谷地近郊の様子など。
 

『最上四十八館の研究』

丸山茂『最上四十八館の研究』,昭和19年(昭和53年復刊),,山形県立図書館

・129ページに「齋藤伊豫は楯岡光直の家老」とある

ほか、白鳥城や富並楯のことなどの記載あり。
 

『出羽の驍将ー最上義光 日本の武将60』

誉田慶恩『出羽の驍将ー最上義光 日本の武将60』,昭和42年6月,株式会社人物往来社

・長久は奥州安倍氏の末裔
・織田信長とのつながり、また、そのことに関する最上氏の対応。
 

『河北町の文化財』

山形県河北町、『河北町の文化財』、河北町教育委員会、平成16年11月

河北町の文化財を写真入りで紹介した本。
実物を直接目にすることは困難だが、この本によってどのようなものなのかを知ることができる。
白鳥氏関連では、
「慈眼寺古文書」    白鳥氏が河北町を支配する以前、この地を治めていた中条氏に関する文書
「青木家古文書 青木某宛谷地小僧丸安堵状」    白鳥氏亡き後、最上義光による所領安堵状
「岡田家古文書 小僧丸除地安堵状」    白鳥氏亡き後、最上義光による安堵状
「工藤弥次右衛門手控」    谷地城の規模が記載されている
「槇久右衛門家文書」    谷地町の旧図のほか、織田信長が白鳥十郎に宛てた書状(天下布武の朱印いり)など
「市神」    白鳥十郎が開いたとされる北口市などの紹介

いずれも町指定有形文化財

が載っている。