白鳥家とは戦国時代、「白鳥十郎長久(しろとりじゅうろうながひさ)」を当主に、現在の山形県西村山郡河北町谷地を中心として最上川の西側に勢力を持った一族です。
白鳥氏は歴代羽州探題をつとめた最上家を出し抜き、織田信長に近づいたりと、最上家が山形を支配するのにことに、最も障壁になった一族でもあります。
白鳥氏は戦上手だったとみられ、最上家当主「最上義光」は直接の戦を避け、白鳥家と姻戚関係を結び、長久を油断させた上で、山形城に呼び、誅殺するという手の込んだ白鳥家の滅ぼし方をしています。天正12年6月7日が長久の命日とされています。
白鳥十郎長久には弟が二人いました。
十郎が長男で次男が伯耆守大学、三男が市郎右衛門です。
なぜ次男だけが「伯耆守」という官位を持つのか、未だにわかっていません。このサイトでは、その伯耆守を中心に、白鳥家の資料を紹介していきます。