伊達政宗書状
天正十二年六月十二日熊以使者ヲ申シ述候、仍今度於其元ニ、
白鳥並ニ氏家生害之由内々
御心もとなく在候て、吏二鉄砲成共指添、
可進条処ニ無菟各、とり静られ候由
承候条、無其儀候 事新敷申候事ニ候へ共、
小斎之地ニ令連馬候石切ニも、
数度被乃
合カニ候キ、于今わすれかたく存斗二候又者、
天童ニ手をふさかれ候折節、内々
自是も可及加勢ニ存候ヘ共、未拙子代ニハ
無之候間、乍存令延引候、乍去只今之事者、
御用ニ候者、不断者共にても、
さしニし申へく候間、年来骨肉之事と云、
於此度も、無御隔意可承候、恐々謹言
六月十二日 政宗(花押)
山形殿
追而
如此之儀
とくニも可申候ヘ共、
□□定之間
令遅々候、以上
兵庫県立博物館所蔵 最上義光歴史館の複製を書き取り、デジタル化した。